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租・庸・調

毎度、みっちゃんです。

今日の桜です。
明日見ておかないと明後日の火曜日は花散らしの雨になりそうです。

すぐ前のカトリック系の聖家族の家という施設の桜です。
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裏の公園の桜ですがシンプルなのもいいです。
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バーベキュー開放地区の桜ですが所狭しとバーベキュー大会が開催されていました。
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明日、4月1日から値上げラッシュのようです。

極貧生活を余儀なく行なっている我が家にとっては地獄の始まりです。

増える財産がないので支出を絞り込む以外に手立てがなさそうです><

さて、わが国最初の貨幣、和同開珎(わどうかいちん、わどうかいほう)は、708年(和銅元年)に、日本で鋳造・発行された銭貨である。日本で最初の流通貨幣と言われる。皇朝十二銭の第1番目にあたる。

大化の改新(645年)より65年後、710年に(和銅3年)飛鳥に長安を真似た平城京ができる少し前のことである。

ただし、「和同開珎」その他銅貨や銀貨は一般人民には使えない貨幣であり一般には流通していなかった。

現在の税金のようなものが租・庸・調として徴収されていた。
租・・・すべての口分田に課せられ反あたり稲二束弐把(後に一束五把に軽減)である。
    当時の田の収穫は、平均して反あたり八斗前後と推定されていたから、租率は3%前後である。

庸・・・は、元来は一年に10日間首都に上って、朝廷の労役に服する徭役(ようえき)であるが畿外諸国の人民    は、徭役の代わりに定額の布を納める。

調・・・は、絹そのほか土地の特産の手工業製品を納める。

租・庸・調とも男子にかかる人頭税で、正丁(21~60歳)、次丁(61~65歳)、中男(17~20歳)という年齢区分ごとに、一人につきいくらとさだめられていた。

租・庸・調を米に換算して租米と合わせると、3税の合計は平均的な一戸の口分田の総収穫の2割位と想像される。

デフレも行き過ぎは困りものだが、我が家では円高より円安のほうが助かるのが現実です。

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大化の改新

毎度、みっちゃんです。
春の選抜もベスト8から準決勝組が決まりつつあります。

大阪桐蔭は残念でしたが、飲み友達の弟さんの子供さんが敦賀気比のキャプテンで今日も7回に2ランHRを放ってくれたようです。
若いパワーが満開の高校野球はいいものです。

さて、今、うちの近くでは桜は満開のようです。
これは前の聖家族の家の桜です。
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公園の裏にポツポツ咲いている桜です。慎ましいですね。
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公園内のバーベキュー会場では人が溢れておりました。
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聖徳太子と馬子の施政には、先に表したように新しい国家形態をめざすものがあったとはいえ、彼らは大寺院の造影と無益な戦争に人民を駆使し、国力を傾けたので、彼の6世紀末の崇仏か排仏かの政争の背景となった社会不安、生産の荒廃、人民の困苦と、犯行はいよいよ激しくなった。

聖徳太子自身、路ばたに餓死していく人民を見ているが、彼はそこで仏教的な悲哀を感ずるだけであった。
そして太子は晩年には政治に興味を失い、ますます仏教にうちこんだ。

彼は「世間―現実世界―は虚仮である。ただ仏のみが真実である」と妃にもらしたという。
そして622年に死んだ。4年後には馬子も死んだ。
馬子の死んだ626年の春から秋にかけて、長雨が続き、大凶作・大飢饉が起こった。

老人は草の根をくわえて路ばたに倒れ、赤ん坊は母の乳房をふくんで母娘諸共死に、強盗・窃盗がいたるところに横行した。

644年島国の富士川のほとりで、「常世虫」という虫を祀ると、富と長寿が得られると、人民をまどわすものが現れた。人民はそれを信じて、われ先にと財を寄進して虫を祭り、酒に良い、歌い、舞うの大騒ぎがおこった。社会の矛盾がうっ積し、人民が方向を失うとこんなことがよくおこる。

部民の逃亡その他の形の犯行も、盛んになった。

この生産の後輩と社会不安の根本原因は、五世紀以来の屯倉・田荘・部民制という、天皇や貴族の人民支配の体制そのものにあった。

蘇我馬子の後を継いだ蘇我蝦夷とその子入鹿は、なおその領地の拡張をはかり、天皇や貴族たちの部民をも挑発し、みずから天皇を気取った。

蘇我氏反対の諸勢力は、中大兄皇子と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)を中心に結束し、蘇我氏の打倒を図った。

これまでのように宮廷の勢争いで終わるわけにはいかない訳は全社会体制の危機があったから、蘇我氏打倒の暁には、これまでの天皇・皇族・貴族らの部民所有そのものを廃止しなければ、もやは人民を掌握することは困難になり、部民所有者たちの争いは絶えず、全支配階級の共倒れになるだろうと考えられた。

では、どのような体制を作るか?

その構想を立てるのに、高向玄理や南淵請安は、大いに役立った。

中国で、唐が隋を滅ぼし、律令を制定し、法と官僚制によって大帝国を統括し、また新羅も、唐に習って朝鮮統一に乗り出しているのを,実地に見聞してきたので「法式備定の大唐国」こそ、新国家の模範であるとした。

645ねん6月、クーデターは決行された。
入鹿を大極殿に殺した。蝦夷はその邸に火をつけ、天皇記・国記等をも焼き、自らも焼け死んだ。

中大兄皇子らは、直ちに、蘇我氏が立てていた皇極天皇を退位させー天皇廃位のはじまりー孝徳天皇をたて、中大兄皇子(後の天智天皇)はその皇太子となり、中臣鎌子が、左大臣・右大臣と共に新設された内臣となって、二人で全権を握った。

ついで専制君主性にならい、はじめて年号を定めて大化元年とした。

本日これにて終了です。

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こちらはうちのメダカではございません。
先日、花博会場で開催された春のJMA関西支部さんの展示メダカです。

本日もご覧いただきましてありがとうございました。

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聖徳太子

毎度、みっちゃんです。

さて、昨日の続きです。

聖徳太子の建立

①四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。

『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている[1]。

宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった[2]。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に和宗総本山として独立している。

②法隆寺(ほうりゅうじ)、奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院で聖徳宗の総本山である。聖徳太子ゆかりの寺院であり、世界最古の木造建築である西院伽藍をはじめ、多くの文化財を伝える。別名を斑鳩寺(いかるがでら)を創建した。

③法興寺 聖徳太子は、596年、まずは国内初の本格的仏教寺院の法興寺(現飛鳥寺)を完成させました。
五重塔と伽藍を備えた荘厳な寺院でした。

四天王寺は我が家から車で10分ほどのところにあります。

有名な亀の池があり一昨年確認に行きましたが太古の昔よりのニホンイシガメではなく外来種のミシシッピーアカミミガメがこちらにも進出しておりました><

こちらはうちの愛カメサンズ(五右衛門、イッシー、亀吉)です。
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蘇我馬子との関係、四天王寺建立の逸話は『日本書紀』等によるものである。


聖徳太子は橘豊日皇子と穴穂部間人皇女との間に生まれた。橘豊日皇子は蘇我稲目の娘堅塩媛を母とし、穴穂部間人皇女の母は同じく稲目の娘・小姉君であり、つまり厩戸皇子は蘇我氏と強い血縁関係にあった。厩戸皇子の父母はいずれも欽明天皇を父に持つ異母兄妹であり、厩戸皇子は異母のキョウダイ婚によって生まれた子供とされている。

幼少時から聡明で仏法を尊んだと言われ、様々な逸話、伝説が残されている。

用明天皇元年(585年)、敏達天皇崩御を受け、父・橘豊日皇子が即位した(用明天皇)。この頃、仏教の受容を巡って崇仏派の蘇我馬子と排仏派の物部守屋とが激しく対立するようになっていた。用明天皇2年(587年)、用明天皇は崩御(死去)した。皇位を巡って争いになり、馬子は、豊御食炊屋姫(敏達天皇の皇后)の詔を得て、守屋が推す穴穂部皇子を誅殺し、諸豪族、諸皇子を集めて守屋討伐の大軍を起こした。厩戸皇子もこの軍に加わった。討伐軍は河内国渋川郡の守屋の館を攻めたが、軍事氏族である物部氏の兵は精強で、稲城を築き、頑強に抵抗した。討伐軍は三度撃退された。これを見た厩戸皇子は、白膠の木を切って四天王の像をつくり、戦勝を祈願して、勝利すれば仏塔をつくり仏法の弘通に努める、と誓った。討伐軍は物部軍を攻め立て、守屋は迹見赤檮に射殺された。軍衆は逃げ散り、大豪族であった物部氏は没落した。

戦後、馬子は泊瀬部皇子を皇位につけた(崇峻天皇)。しかし政治の実権は馬子が持ち、これに不満な崇峻天皇は馬子と対立した。崇峻天皇5年(592年)、馬子は東漢駒に崇峻天皇を暗殺させた。その後、馬子は豊御食炊屋姫を擁立して皇位につけた(推古天皇)。天皇家史上初の女帝である。厩戸皇子は皇太子となり、推古天皇元年(593年)4月10日に、摂政となり、馬子と共に天皇を補佐した。

同年、厩戸皇子は物部氏との戦いの際の誓願を守り、摂津国難波に四天王寺を建立した。とのことです。

蘇我馬子と聖徳太子の施政は財政機関中心の官僚制的機構でありそれまでの古い伴造部民制を払拭した。
すなわち官庁の長官とそこの労務者群という形である。

馬子と太子は、この様に権力の物質的基礎を再編強化し、官僚制的機構をはじめるとともに、仏教の奨励、官位12階の制定、憲法17条の軍二、天皇記・国記などの歴史の編纂等、天皇を頂点とする中央集権国家の理念の創造に着手した。

仏教の奨励は、「氏」を超えた新しい進行で帰属の思想的統一を図るとともに、中央地方の氏姓貴族及び民衆に、朝廷の威力を強烈に印象付けるこちに、その政治的意義があった。

当時、皇居でさえも、板葺き、かやぶきの粗末な建物であり、民衆は、床さえない掘立小屋に住まいしていた時代に、想像を絶した大建築で支配者の権威と、そこに祭られている新しい「神」に恐れおののくばかりであった。

また、この時代に初めて中国との対等の国交の努力がなされた。
607年、小野妹子が中国の隋王朝に送られた。
そのもたらした国書は、中国の『隋書』によれば、「日いづるところの天子、書を日没するところの天子に致す、恙なきや」とあったという。

翌年、答礼使と共に妹子は帰国するがその施設が帰国の際に妹子も同行した。
その時の国書は「東天皇、敬て、西皇帝に白す」という句で始まっていた。

大王を天皇と称したことが、文献に見えるのはこの時が最初であるらしい。

この二回の遣隋使に従って、多くの僧侶、学生が留学した。彼らは皆、渡来人系であり、その中には、高向漢人玄理・南淵漢人請安のように、のちの大化の改新に重要な役割を担うものもいた。

隋との使者の往来は、日本で意図したように対等の国交を実現したものではなく、隋の対日国書には日本を朝貢服属国扱いにしていた。

ただし、倭の五王が宋に対したのと比べれば、この国交は、日本朝廷の自主独立の意識を示していた点で着目される。

今日はこれにて終了です。

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蘇我氏隆盛

毎度、みっちゃんです。

5世紀後半、大王の国家は確率されると同時にはやくも国の内外で難局に直面し始めた。

朝鮮三国の勢力争いが激化し、高句麗は百済をせめて首都を奪った。
新羅も又、高句麗の南下に脅威をうけた。
百済と新羅は、高句麗を防ぐため、それぞれ南下して任那地方の蚕食をはかった。
任那を自己の勢力範囲とみなしていた倭国の朝廷には、あくまで百済・新羅と抗争しようとするものと妥協派の対立が生じた。

朝廷は百済に対しては譲歩したが、新羅に対しては527年近江臣毛野を将として大軍を送り新羅と戦うこととした。

しかし、このような侵略戦争は大王や中央貴族のみの利害に関わることで民衆と地方豪族は、兵士にとられ、又は兵糧その他軍需の負担に苦しむだけである。

『日本書紀』によると、479年雄略天皇が死んだ時、新羅遠征軍が岡山の吉備を通っていたが、その中の蝦夷人の兵士500人が叛乱を起こしたが、丹波国浦掛港で全滅したが、民衆や地方豪族に支持されていたのでここまで戦えたのだろう。

その半世紀後、527年の大遠征が企てられたが、かねてから中央に不満を持っていた筑紫の国造磐井は、北九州の諸豪族と民衆に支持されて叛乱を起こし、遠征軍をさえぎった。その勢力は極めて強く、物部麁鹿火自らが、その討伐のために出陣せねばならなかった。
磐井らは1年3ヶ月も抗戦したが、ついに敗れた。


磐井の乱の平定は朝廷の地方豪族に対する支配力を高めた。
朝廷の直轄領が拡大するにつれ財政機構を握る蘇我氏の勢力がのびた。
蘇我氏は今までの氏族的擬制でなく、新しい官僚制的な人民支配方向に歩もうとしたため保守派の大伴氏や物部氏との対立を引き起こした。

革新派の蘇我稲目と物部尾輿の争いは仏教を受け入れることか否かで始まったが、仏教を受け入れるということはそれまでの氏姓制度の神々を超越した神を受け入れることである。

蘇我氏は585年稲目の外孫が皇位につき(用明天皇)、仏教の興隆をはかった。用明天皇の死後、皇位をめぐって、蘇我馬子と物部守屋が対立して戦闘となり、馬子は用明の子厩戸王子(後の聖徳太子)と共に、守屋とその一族を滅ぼし、自分のおいを立てて天皇とした。(崇峻天皇)

もはや宮中には、馬子に歯向かうものは一人もいなくなった。
崇峻天皇は馬子の横暴をにくむと、馬子は怒って部下の役人に天皇を殺させた。

そのあとには、一族の皇女を天皇に立てて(推古天皇)、聖徳太子をその摂政とした。

これより馬子と聖徳太子の独裁政治が行われる。

メダカ並び

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氏姓制度と部民制

毎度、みっちゃんです。

昨日は百済が日本文明のスタートでしたね。

今日は5世紀中頃の社会構造からです。

渡来人による技術導入と階級社会の確率により社会構造が急速に出来上がってくる時期です。

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天皇を搾取の原点に置いた格差社会構造ができてきております。

それにしても名前の由来にまつわる地域が我が地方のすぐそばに沢山あるものです。

まずは①百済   百済国よりの渡来人による文明のスタートの地。
   ②猪飼野  豚の飼育は猪飼部に任せられていた。
   ③弓削   ご存知弓削の道鏡の出身地。弓を作るものを弓削部といった。
   ④土師ノ里 土器を作るものを土師部といった。
大王家に匹敵する有力者
   ①葛城 葛城山というところあり。
   ②平群(奈良県に同名の地がある)
   ③三輪(奈良県に同名の地がある)そうめんで有名

大体が我が家の北東部から南東部10km県内に存在するところが多い。

多分、古墳の堀や屯田付近にはクロメダカもたくさん生息していたことであろう。

ちなみにクロメダカではございませんが・・・
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弱肉強食

毎度、みっちゃんです。

熱帯魚にはマウスブリーダーといって敵に子供が狙われる時に口の中に保護する魚もいますが、メダカは親子の愛情はあまり感じられません。

水草等、小魚の隠れ家がなければ親が子供を餌にしてしまうケースもしばしば・・・><

日本書紀によると皇位継承に壮絶な闘争の物語を残している。

5世紀中頃、仁徳天皇の子、允恭天皇(いんぎょうてんのう)の死後の争いです。

この時穴穂王子は、交代し軽王子を押しのけて皇位についた。(安康天皇、倭王興か?)

安康天皇はまもなく叔父の大草香王子を殺し、その妻中帯姫を奪って自分の妻とした。

ときに大草香の眉輪王は、わずかに7歳であったが、三年後には、安康天皇が中帯姫のひざ枕で眠っているのを、刺し殺した。

少年の背後には、天皇家と共に古くから兄弟であった豪族、葛城円がいた。

安康の弟?雄泊瀬王子は、ただちに眉輪王と円およびその味方の皇族を殺し、さらに、この事件と何の関係もない

市辺押磐、狩りにさそうとだまして殺し、また御馬王子が葛城と同じほど勢力のあった三輪君と仲がよいので、これも殺した。

こうして皇族の男子は一人残さず殺してしまって、自分が皇位についた。

これが雄略天皇です。

皇室古墳時代もいろいろとあったようですが、真意のほどは・・・?

多分、天皇家の血は一旦ここで途切れたのでしょう。

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ご覧頂きまして恐縮です。
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筍ご飯

毎度、みっちゃんです。

春真っ盛りでこちら大阪でも桜五分咲き位でしょうか♪

桜もいいですが食道楽の私にはこの時期はたけのこがいいですね(笑)

冷凍庫に眠っていた京都錦市場の「鳥清」さんの特製鳥スープが半分残っていたので「あ、これだ」と思って筍の炊き込みご飯を作りました。

具財は鳥せせり身、ゴボウ、人参、うすあげ、ちくわ、シメジを入れましたがよく考えるとこんにゃくを入れるのを忘れておりました。

鶏肉には酒、しょうゆと塩麹で下味をつけておきます。

これに鳥清特製スープを水と合わせて顆粒だしの素、と白だし、薄口しょうゆ、塩若干加えて炊き込みました。

これと自家製きゅうりのぬか漬と、ワカタケ汁にて今夜の夕食、完食しました。
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たまにはメダカ抜きの話題もいいかと・・・
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日本文明の夜明け

毎度、みっちゃんです。

さて、勉強開始です。

大和・河内地方に百済国から渡来した人々は新しい生産技術と新知識をもたらし倭国の生産力を飛躍的に発展させた。彼らのおかげで鉄器の生産と使用が広まり始めた。

大規模の水利・土木工事が行われ、農耕の技術と道具が躍進し,新しい陶器(須恵器など)、家畜の飼養、養蚕、絹織物その他の生産が、急速に発展した。

技術と切り離せない算数の知識も伝来したのだろう。

また、渡来人の中から、倭国と朝鮮諸国や中国との外交文書を起草し解読するものも出た。

倭国人は彼らから初めて漢字・漢文を学びそれを使用し始めました。

こうして日本列島社会は朝鮮渡来人に導かれて、5世紀にようやく、古代中国文化圏の東のはてで、未開から文明の段階に達した。

この時期、大王(天皇)を頂点に戴く国家はかつての大和地方の族長たちの連合政権が、列島各地の征服戦と、挑戦・中国の文明の摂取とを通じて成長発展し、九州北部から関東地方に至る日本列島の主要部分を、不十分ならがも一応支配している。

この国の最高支配者は、かつての邪馬台国の女王などとはちがって、倭国の5王に見られるとおり、王権の男子世襲制が確立されており、王はもはや、卑弥呼のような宗教的最高権威であるだけでなく、政治・軍事・祭祀のいっさいの権を握る最高の権力者であり権威である。

彼は、各地域の支配者=王たちの上に立つ王であり、六世紀には大王と称していたことが明らかである。
その称号は五世紀に遡らせていいだろう。

堺にある巨大な前方後円墳にまざまざとみられる。
それまでの丘陵を利用し頂上に棺を埋めるやり方が平野に土を盛り上げて、小山を人工的に作り、王たちの墳墓とした。
応神あるいは仁徳天皇の墓と伝えられる古墳は、長さ475m、高さ27m、前方部の幅300mもあり3重の濠をめぐらしており、はるか会場からも望見される。

前方後円墳は、近畿地方のみならず九州から奥羽地方の南部に至る各地に見られる。

その墓の周りに埋められた副葬品の埴輪には、武人や農民の様々の姿の男女、動物、いえ、船、生活諸道具をかたどった、素朴な芸術品もある。

そのうちの一つとして青銅の鏡、硬玉の勾玉、鉄の剣、すなわち後世に天皇の位のしるしとされた「三種の神器」と同種のものがあるが、これらは中国からの輸入品で、その見返りの輸出は「生口」すなわち奴隷であった。

「メダカ飼育3種の神器」とは水草(浮草・モス)、塩、レッドラムズと呼ばれていましたが。今の「3種の神器」はいかがなるものなんでしょうね?

出目チビ 黄睡蓮

本日もお忙しい中、ご覧頂きましてありがとうございました。

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邪馬台国

毎度、みっちゃんです。

花曇りの大阪です。

昨日は弥生式文明まででしたね。

さて、今日は邪馬台国から行きます。

邪馬台国には畿内説や九州説がありますがなんとも過去のことなので定かではないのですがアイソトープを使って無理無理畿内説に結びつけようとするよりも天孫降臨の地高天原からスタートするほうが歴史にロマンが感じられると思う私です。

初代神武天皇は、日向を発ち、大和にいた長髄彦(ながすねひこ)
を滅ぼし、橿原の地で即位します。これについては、全くの作り話だという人もいます。
関西人にとっては畿内説を優先したいのでしょう。

魏志倭人伝によると(後の日本)に、女王の都する邪馬台国(邪馬壹国

)を中心とした国が存在し、また女王に属さない国も存在していたことが記されており、その位置・官名、生活様式についての記述が見られる。また、本書には当時の倭人の風習や動植物の様子が記述されていて、3世紀の日本を知る史料となっている。

又「漢書」では楽浪(北朝鮮)の海中に倭人あり、分かれて百余国となる。歳時を以て来り献見するとある、これが日本列島社会のことが文献に現れる最初である。この「百余国」とは、北九州の族長たちの支配する社会集団のことであろう。彼らは使者を朝鮮の楽浪郡に置かれた漢王朝の役所にまで送って、新文化の輸入に努めた。

楽浪どころか、中国の北西部にある首都の洛陽にまでも、紀元57年には、倭の「奴国」の使者が送られている。この大旅行の困難は、想像に絶するものがあっただろう。このようにして日本社会は、朝鮮及び中国の先進文明を,赤ん坊が母の乳を求めるように貪り、未開からやがて文明の段階に侵入していったと考えられる。

魏志倭人伝によると邪馬台国は28ヶ国を服従させている大国でもとは男王が支配していたが、数年の戦乱のあげく、支配者たちは協定して卑弥呼という女を王と決めたらしい。

卑弥呼の死後、また、男王が立とうとして国内は大乱に陥ってしまったため卑弥呼の跡取りの13歳の娘壱与を王に立てて混乱が収まったとのこと。


ただ、氏族・部族等の支配集団による搾取や奴隷制を行う部族連合国家が3世紀中頃には大和地方に成立していた。4世紀中二、東は関東地方の西南部、西は九州の北部まで勢力を伸ばしていたらしい。

古事記と日本書紀には日本武尊(倭健命)が西は九州の熊襲を征し、東は関東の蝦夷を平らげたという説話があるがこれは大和政権の長期にわたる発展過程を一人の英雄をモデルに説明したものであろう。

4世紀の中頃から大和政権は南朝鮮の洛東江流域、加羅(加那)地方に任那という支配地をもち、朝鮮西南部の百済国と和親し、東南部の新羅国及び北部の高句麗国と構想したという。

朝鮮の史書にも、その頃倭の兵や倭人が新羅や高句麗と戦ったことが記されている。(ただし、その兵が大和政権の兵である根拠はない)

宋帝からは倭王より早く宋帝に朝貢していた百済王の方が大和の倭王より高い地位を認めていたらしい。

倭王「珍」は自ら「使持節都督、倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕漢六国諸軍事、安東国大将軍、倭国王」と名乗り、この称号を宋帝が認証することを願ったが「安東国将軍倭国王」の称号を許しただけで百済以下の五国の軍事を都督する意味を持つ称号は許さず、「大将軍」の号も認めなかった。

次の王「済」とその次の王「興」にも認められずにその次の王「武」に至って、紀元前479年、宋帝から「使持節都督、倭・新羅・任那・秦韓・慕漢六国諸軍事、安東国大将軍、倭国王」の号を許された。

この時期に倭国と親交のあった百済国から多くの有力者が、一族や従属者を引き連れて、大和・河内地方に移住してきた。

(余談だが)うちの家から車で10分ほどのところに百済という場所がある。多分こちらに渡来者が住まいしていたのだろう・・・

その手前が杭全(くまた)ちょっと馴染みのない方では読み辛いでしょうね。

ということで、太古の昔より私が幼少の頃までうちの近辺には田んぼや畑があり又裏の公園ができるまでは競馬場や競輪場・オートレースも開かれていましたがまだ自然が残っており夏にはホタルも家に飛び込んでくるしクワガタも庭木にいるのを見つけたりヤマカガシや青大将やヤモリも家に訪問してくれておりました。

もちろんメダカも裏の池でおりましたしカエルの餌でザリガニ釣りもしたものです。

私がまだ赤子の時に天皇陛下がこの地を訪問されて、以来、長居公園ができたという話を聞いたことがありました。

まだその当時競馬場等取り壊しがあっても自然は残っていたようですが高度成長期に伴う道路整備や水路等の環境整備、田畑の宅地化等が進むに伴い又合成洗剤や排気ガスなどの郊外物質の蔓延で水性動植物も絶滅の危機に瀕したものでしょう。

自然破壊を反省して現在、取り戻しの努力の成果があちこちでちらほら聞こえ始めてきておりますが純然たる自然環境とは言い難いと思っております。

せめて飼育中のメダカや外来種の植物等を自然に放たないよう各自最低限度の努力の中で趣味を満喫したいものです。

本日はこれにて終了いたします。

ご静聴ありがとうございました。
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掬い網

毎度、ミッチャンです。

皆様、おはようございます。

今朝は、メダカ掬い用専用網の件です。

どういうわけか市販の網は深く出来上がっていてメダカすくいには少し扱いにくいものが多いようです。

以前のものは結構浅めに作られていて気に入ったものが多かったんですけど・・・

そこで、思い切ってハサミでカット。

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使う糸は船釣り用の強力なテグスを使用しました。

これでお気に入りの浅めの専用網が完成です。

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弥生式文化とメダカ

毎度、みっちゃんです。

さて、今日も勉強会スタートです。

昨日は縄文式文化でしたね。この時代は貧富の差はなく墓地も共同、狩りや漁、住宅(竪穴式住居)を作るのも共同作業で行なっていました。

原始共産制のこの集団は母系制氏族共同体であったのでしょう。

多分、土偶はその象徴で万物に精霊が宿り、それが人間の運命を左右すると考えるアニーズム(精霊崇拝)と関係のあるもので、それが女性をかたどるのは女性が子を産むもの、すなわち生命の根源として、そこに霊妙な力を感じていたとも解せられるのではないでしょうか?

伊勢神宮に祀られている最高神、天照大神は太陽神であり高天原の主祭神であるが女性の神様です。

天照大神の親はイザナミの神と妻はイザナミの神ですが妻を伴い黄泉の国に行くも逃げ戻り川でみそぎをするときに左目を洗った時にできた子が天照大神で右目を洗った時の子が月読尊(つくよみのみこと)鼻を洗った時の子が須佐之男命でこの三柱神を三貴子というようです。

古代より現在に至るまで日本では女性の地位は高いですね。

イギリスにおいても女性の地位が高いのは海洋民族に特有の傾向かも知れません(あくまで個人判断ですが・・・)


さて、そろそろ本題に入れねば・・・

弥生式文化は朝鮮方面から今までにない全く新しい高い文化、弥生式土器の文化がそれまでの縄文式文化を刷新した。
それは大陸からの侵略の形で流入されたものでなく新来人種が縄文時代人に吸収される形でのスタートだった。

日本人自体は固有純潔民族ではなくて混血民族の意見を持つ学者が多いのはこの点からだろう。

この時点で社会は「未開」の段階から「文明」の段階へとステップアップした。

農業は沖積世の初期段階で西南アジアで小麦や大麦が栽培されたのが世界史上の最初だが、続いてエジプトのナイル河下流・中流で農業が始まっている。

紀元前三千年ないしは二千年頃にはインドのインダス河、中国の黄河流域でも農業と家畜の飼養が始まっていたとされる。

紀元前三~二世紀頃、南朝鮮から、北九州の海岸地帯に,高い技術で作られた土器、水田農業、金属器を伴う文化が伝わり、これが弥生式文化である。

水田農業における稲作の開始はこの時であろう。

さて、メダカは(目高、Oryzias latipes)またはニホンメダカは、ダツ目 メダカ科(アドリアニクチス科)に属する魚。体長 4 cm 程の淡水魚。学名の Oryzias latipes は『稲の周りにいる足(ヒレ)の広い』という意味である。

余談だが、サンマ(秋刀魚、学名:Cololabis saira) は、ダツ目-ダツ上科-サンマ科-サンマ属に分類される、海棲硬骨魚の1種。 北太平洋に広く生息する。

ということでサンマとメダカは親戚筋である。

メダカと稲の相関関係はこのあたりからのスタートであろうと推測されます。


メダカ並び

本日はこれまで。

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メダカ文化東西

毎度、みっちゃんです。

本日は肌寒さも感じる花曇りの大阪です。

明日は昼から雨になる予報です。

さて、今日も元気ハツラツで勉強開始しましょう。

縄文時代に入り縄文文化には、東日本都西日本に明白な差違が現れ始めます。

土器の形や文様に当初から東西の差異がいくらかは認められますが、後期に至るまで質的な差がなく同じ方向に進んでおりました。しかし、晩期には明白な違いが見られるようです。

東日本では、それまでの方向が引き続き発展し、釣具等の骨角器が非常に精巧に作られており、土器の装飾は、青森県の亀ヶ岡から出た亀ヶ岡式土器を典型とするように、極端に複雑になる。

これに反して西日本では、縄文文化の遺跡からの出土品は変化に乏しく、土器は以前よりも簡素になる。
その一方では、土掘りに使ったと思われる、大型の打製石斧など、新しい性質の強力な労働器具が現れる。

これらから察すると、西日本では、人々は新しい生産方法、農業への道を模索していたようです。

メダカ文化にも何か似通った方向性があるような気がするのは私だけでしょうか・・・?

改良メダカの歴史はまだ新しくて十数年・・・

広島の大場氏の楊貴妃の発見以来、スタートしたメダカ文化も華ひらく段階になってきつつあります。

楊貴妃といい、東天光といい、四国の幹之発見の菅さんといい、九州の小倉錦の小宮さんといい、何か新しい
方向性は西日本でスタートするケースが多いようです。

立場が変わって東日本の方たちはより一層深みのある固定種を目指されたり、良い品質のものを飼育家に求め安い価格を目指して努力される等深みのある飼育を基本に置かれているように思われてなりません。

まだまだ、始まったばかりの改良メダカ文化を金魚や鯉、胎生メダカのグッピー等に負けず劣らずの色彩・形状となりますように東西問わず切磋琢磨してより良いメダカ作りに邁進することと祈願しております。

ただ、悲しいのは昨今のメダカ熱に便乗して、偽造画像でのオークションや、他人様の画像流用しての販売等、ストレスの原因となるマイナス文化に繋がらなきよう展開することを願って止みません。

癒しの原点となるよう、より良きメダカライフを満喫しましょう。

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メダカの集団

毎度、みっちゃんです。

さて、今日も勉強開始しますか(笑)

日本列島に人間が生息するようになったのはいつ頃だろうか・・・?

最古の人類は以前は東アフリカのタンガニイカ地方で1959年に頭蓋骨の化石が発見され推定では175万年前位だとされていたジンジャントロプス・ポイセイ(原名:バラントロプス・ポイセイ)でアウストラロピテクスの一族らしいが、2010年直立歩行する身長1m体重50kgぐらいの化石が南アフリカハウテン州スタークフォンテンの洞窟で発見されホモ・ガウテンガンシスと言うらしいが200万年~80万年前に生息したらしい。

それにしても気の遠くなる話だ。

アジアでは遺骨が北京の近くの周口発見された北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)とジャワ東部で発見されたジャワ原人(ピテカントロプス・エレクトス)だとのことだが、今から40万年~50万年前のことだ。

洪積世(更新世)約258万年前~約1万年前の時代日本は一部大陸とつながり今の日本海を内海のように囲んでいたそうだ。

ということは、大陸あたりからの淡水魚類との結びつきが想定される。


その時代に北京原人や直立猿人が日本にやってきたのかもしれない。

さて、日本ではおおよそ24万年~15万年前にまたがる、地質学上の第三氷河期に日本で石器が発見されていることから人間が生活していた痕跡が伺える。

ただし、人類初期の猿人の骨格は現在の人類と著しく違っていて、現在の人類の祖先、ホモ・サピエンスが登場するのは洪積世の末期、今から3万年前~5万年位前のことのようだ。

その頃には日本列島北海道から九州にいたるところで石器(打製石器)が発見されているらしい。
当時、北海道と本州は津軽海峡で隔てられていたが本州と四国、本州と九州は陸続きだったようだ。

この時点で北海道には現在のメダカは存在しなくなったのだろう。


そして、現在四国及び九州が本州から分断されていてもこの時点で陸続きだったのでメダカは生息していたものと考えられる。

そして、北日本型集団と南日本型集団はこの時点で分かれていたんではないかと推測されます。(一部ハイブリッド型は丹後半島近くで現在も生息中とのことです)

ただし、メダカは「稲の周りに住むヒレの長い魚」とのことですが日本で稲作が開始されたのは弥生時代に静岡県登呂遺跡で稲作跡が発見されたので川の流域に存在した稲類?の近くに存在したのかも知れません。

稲作自体は中国の長江(揚子江)流域でおこなわれていたようで中国最古の文明が黄河文明寄り前に長江文明として存在していたようです。

この頃に日本にメダカがやってきたのかも知れませんね。(紀元前14000年前~紀元前1000年前位)のことのようです。

本日の勉強会はこれにて終了。画像1 004



皆様、おやすみなさいませ。

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厄介なやつ

毎度、みっちゃんです。

うちにはケンミジンコは少ないのですが結構カイミジンコが湧きます。

通常のミジンコは泳ぎもぴょこぴょこしてメダカの餌にもいいようですがカイミジンコはあちこち動き回り、又、殻も硬そうでメダカが食べると消化不良をおこしそうで私的にはやっかいものです。

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乾燥ミジンコにでもすればいいのではないかと思いますがわざわざ作ることもなさそうなので一緒に与えたりしておりますが同一水槽に2種類がいるとどうもカイミジンコの繁殖力が大せいなようでミジンコは肩身の狭い思いをして気づいてみればカイミジンコだけということもありました。

今はミジンコの繁殖時期ですしメダカの餌にも最適なので通常のミジンコだけを増やすためスポイドでカイミジンコを取り出しました。

メダカ繁殖水槽に入れてみましたら食べることは食べますがやはり美味しくないのか食べ残しております。

分離したミジンコは繁殖剤を使った飼育水で増やしております。

先週の金曜日に鈴木さんからいただいた繁殖剤を入れましたら元気に動き回っているので早く増殖してくれることと思います。
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人類の文明との関係

毎度、みっちゃんです。

有史=日本で文字が使われた(BC2000~3000年)以前、古代オリエントではメソポタミア文明がチグリス・ユーフラテス川の沖積地帯で生まれた。メソポタミアとはギリシャ語で複数の河の間という意味のようです。

この辺はトルコを源流にペルシャ湾に注ぐ地帯で彼のサダム・フセインの故郷イラク ティクリートを含むシュメール人が開いた文明です。

バグダットがキリスト文明の発祥の地聖地エルサレムより早く文明があるところからイスラム崇拝者の思い入れは強いものがあるのかもしれませんね。

エジプト文明もナイル川の肥沃なる三角州地帯に生まれてますね。

あと2つはインダス文明と黄河文明ですがやはり川に纏わります。

川には動植物が集まる環境があり人類も生活するのに必要なものが調達できるので農業をはじめとする文明が発展する要素があるのでしょう。

バクテリアの発生は34億年前その後2億年後位にミジンコが誕生したとされています。

また、メダカは
Q3  メダカはいつ頃からいるんですか?
A3  約2,000万年前に東南アジアで生まれ、約300万年前に日本にやってきたといわれています。 そして、約2,000年前の弥生時代にお米をつくる(稲作)ようになって田んぼで爆発的に増えました。 だからメダカを英語で「ライス・フィッシュ」、すなわち、お米の魚といいます。

Q1  なぜメダカという名前ですか?
A1  メダカは漢字で「目高」と書きます。メダカは水面近くにいます。 空から水面に落ちてくる虫もエサにして食べるようになり、目が上の方(高い方)へと進化したと考えられます。 だから、メダカは水中から空を見ることが出来る魚です。 なお、メダカの呼び名の方言は日本で5,000以上もあります

面白いですね。

本日の勉強会はこれにて終了いたします。

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悠久の時の流れ

毎度、みっちゃんです。

私は阪神タイガースファンですが、にっくき読売ジャイアンツの筆頭オーナーのナベツネさんの履歴を拝見すると非常に面白い経歴をたどっておられる。

興味のある方は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%82%89%E6%81%92%E9%9B%84 をご覧あれ。

非常に哲学に興味をお持ちのようですが、哲学好きな方は私の周りには存在いたしません。

私の興味があるのは日本の歴史。歴史の大きな悠久の時の流れの中のごくわずかなひとときに存在する自分はミジンコ以下の存在かも知れません><

家族、仕事、趣味に置いて大きな歴史の流れの中で歴史に極小の句読点を残せたらと思う次第です。

趣味ではメダカが主ですが広島のメダカの館の大場さんは「楊貴妃」というブランドをメダカに提示されたことは
現在の改良メダカの歴史に大きな痕跡を残されたことだと思います。

もちろんヒメダカあたりは江戸時代からクロメダカの突然変異からのスタートで当時の飼育家が固定化させたんでしょうね。

それにしても昨今の改良種の固定化は業者さんやマニアによって目覚しいスピードで固定化されています。

幹之等は発表後あっという間に固定化どころかいろんな改良種が登場する始末です。

二色、三色もすぐにそうなることでしょうか、それとも色素絡みのものは難しいのですかね?

楊貴妃もオレンジ系の赤もあれば違う系の種からの別種の紅色もあるので難しいところです。

私はあまり深く考えず、飼育で楽しめたら程度に留めたいと思っております。

もちろん、広大な飼育スペースを利用しての飼育でないので無理なことはできませんので。

まあ、気楽に種をとぎらせないことが基本です。フロックで珍種が出れば程度ですね。

ダルマ系もそちらの一端です。

スモールアイやチェキ、出目、水泡眼、鯱あたりは興味がありません。

それよりも太古の昔より命を脈々とつないでいるミジンコの方に興味がある一人です。

ダフニア

宇宙空間を悠然と遊泳するミジンコを想像しております。

でわ、また。。。

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ただいま勉強中

毎度、みっちゃんです。

経営の神様故松下幸之助氏は本日は協調性について考えておられたようです。

私くらいの年齢になるとだんだん周囲が見えなくなり自己の考えに吹けるようになるので要注意です!

一昨日、昨日と日本メダカ協会(JMA)関西支部主催のメダカ展示会に行ってきましたがメダカ好きな方の多いのには毎年驚かされますが年を重ねる毎に出品スペースに立ち寄られる方の多くなっているのにも昨今のメダカ熱を感ぜずにはいられません。

ただ、メダカ飼育スタートは格安簡単に飼育できて癒しを求められることから採取の黒メダカや一般売りのヒメダカスタートされる方が多いようです。

だから、人との協調性というより個人的な楽しみからのスタートで協調性にはあまり関係なくスタートされるけれど、だんだん改良メダカにとりつかれ始めてHPやブログで顔も知らない方とネットつながりされることは自分も含めて多いことと思います。

こんな方には展示会等は共通の趣味を持つ方との情報交換も含めて本人さんと知り合えるチャンスです。

ただ、自分の我を通さず協調性を持って人と接することがポイントでしょうね。

展示会にこられておられる方でネットでお付き合いしているけど、顔を合わしていても素通りは何かさみしいものを感ぜずにはおられません。

共通の趣味を通しての人の輪(和)が広がることを願って止みません。

記帳コーナーで希望者に飼育歴や飼育種類、ハンドルネームなどの支障なき個人情報等を希望者に書き込んでもらい、差し支えなければ顔写真もつければより一層の深まりができるんでしょうがちょっと面倒ですのでオミットですね。

シーズン突入でメダカに力せねばならないのですがどうしても空き時間に学生時代から中途半端な勉強しか出来ていない日本史を間を見て勉強し直さねばと思っております。

受験のための勉強は辛いものがありますが趣味の勉強は本当に楽しいものです。
画像A

でわ、又。。。

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春爛漫

毎度、みっちゃんです。

いよいよ春爛漫、桜も見頃になってきました。

うちでは睡蓮の植え替えも先日終わっております。
今年も夏にはきっと綺麗な花を見せてくれることでしょう。
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越冬ホテイの方も新しい根がもうどんどん伸びております。
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全部で20株位は残っているようです。
これだけあれば産卵期に布袋を購入せずとも済みそうです。
(近くのショップで3日前から120円で元気のいいのを販売しているのですが・・・)


メダカの方は今年生まれの幹之もすっかり大きくなりました。
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うまく写りませんがブチもいいのが出ております。
めだか 003

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流石にカリスマブリーダーは違う

毎度、みっちゃんです。
おはようございます。花曇りと少し雨の降りそうな大阪です。

さて、今日はJMA関西支部主催のメダカ展示会最終日です。

昨日にも増して盛況であると思います。

まだ、行かれていないお近くの方是非とも行ってみてください。価値ありますよ。

中にWのスーツを着ておられる紳士の方が皆様よくご存知のカリスマブリーダー「河内の親父」さんです。

昨日お酒を飲みながらでなくカジノっちさんプレゼントのシュークリームをいただきながらの談笑でのことです。

スケールのでかい人の考えることは一味ちがいます。

なんと、今回「春雅展」は小品盆栽展とのコラボ企画なんですが、単一企画でこの会場ハナミズキホールの2F
3000㎡でメダカ展示会をしてみたいと仰っておられました!

大きな企画は都でしなければいかんと・・・
都とは天皇がお住まいになられた東京、京都、大阪、奈良でそれ以外はダメとか・・・

愛知県のタ~タンさんも同席されておられましたが名古屋は含まないとのこと(絶句><)

やはり私のような凡人とは頭の構造が違います。

それではまた。

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ヤフオク落札

毎度、みっちゃんです。

ヤフオク落札の件です。
http://page6.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f122343747#iteminfo

落札後いつまで待っても連絡がこないためにこちらで総計金額を21日PM5時に振込みましたが出品者の代理出品しているのか?いろんな分野の出品しているようなので別の所で転送された内容を確認しているのか?わかりませんが未だ入金確認の取引ナビが入ってきません。

よく商品詳細確認すると土日は連絡取れないとか、土曜の夕方五時に記帳に行くとか先方事情を細かく支持されていました。

物は室内照明ランプがダメになったので近くのショップ探したのですがなかったためヤフオクで見つけたので入札に至った次第でした。

評価欄を確認せずに落札した自分にも落ち度がありますが49人も(非常に悪い)評価が出ている出品者を出品者として認めているヤフオクにも問題があるのではと思っている次第です。(自己判断ですが・・・)

メダカ関係では卵の輸送処理が悪いとか未受精卵とか成魚では画像と違うなどといったクレームも多いようですが出品者都合で取引ナビに連絡してこないとか指示電話番号で連絡が取れないといったことはありませんでした。

ヤフオクには専用フォームで問い合わせ中ですが来週まで待っても何ら連絡がこない場合は警察に相談してみるつもりです。

皆様もご注意下さいませ。

今回もお立ち寄りいただきましてありがとうございます。
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今日も展示会

毎度、みっちゃんです。

午前中は花曇り、昼からはいい天気になりました。

本日も、また、昨日に引き続き性懲りもなくメダカ展示会にGO自分ながらよくやるもんです。

というのもミヤさんに是非会いたいと思ってのことですが・・・

ミヤさんと言えばもう数年前のことですがミジンコ談義や堺の餃子「孫悟空」を紹介してもらったりと懐かしさがこみ上げて一度お顔を拝見したいと思っていたので出かけたのですが。

展示会場でスタッフさんで昨日顔を見ていない方に喋りかけるとミヤさんとのことでしたが、な、なんと別の方のようでした。2人ミヤさんがいらっしゃるとは露も存じ上げませんでした。

私の傍若無人な書き込みでメダカにはまられた不幸な方もいらっしゃるものだとつくづく反省しております。

なんせ、私の忘却の彼方にすっ飛んだ記憶まで思い起こされる話題にしばし沈黙する自分でした。

しかし、日を追うごとにメダカ展示会が盛り上がり盛況の活気に満ち溢れているのを見て、パワーをいただいたように思っております。

メダカ展示会を3年連続開催されておられる北澤会長始め、小品盆栽「春雅展」とのコラボを画策されたカリスマブリーダーの「河内の親父」さん、お仕事の都合でお顔を拝見出来ておりませんが京都のスミス様、新たなスタッフミヤちゃん、それに昨年に続き販売企画されて遠渡はるばるお見えになられた「花小屋」さん並びに「クリーク」のメダカちゃん、昨日お相手していただいた兵庫支部のスーさん(ミジンコ繁殖剤ありがとう)、今日四国から夜2時から車で駆けつけられたカジノっちさん(シュークリーム美味しかったです)関東の競輪選手のチャリさん、愛知のタ~タンさん御兄弟並びに顔の黒さ?からでしょうか人柄の良さがにじみ出ている黒ちゃんと今までネットでしか存じ上げなかった方にお会いできたのが一番の楽しみでした。

今夜は懇親食事会とか・・・

飲みすぎで明日に響かないようにと願います。

最後に昨日取り忘れの琥珀系の見づらい画像でご辛抱くださいませ。
カリスマブリーダーの親父さんにお叱りを頂戴しそうでございます。
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本日はこれにて終了。

日本メダカ協会関西支部の皆様、明日の千秋楽まで頑張ってくださいませ。

では、では・・・

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JMA関西支部展示会に行ってきました。

毎度、みっちゃんです。

今日は暑い位の天気の良さでスプリングコート着て出かけましたが汗をかいておりました。(冷汗かも・・・)

今日はJMA関西支部さんのメダカ展示会です。例年のごとく今日より3日間開催されるようです。

北澤会長さん並びに会員様各位に感謝感激です。

まずは会場から・・・
大阪の鶴見区の花博会場(鶴見緑地内ハナミズキホールで開催中です)
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会場内でまず見つけた北澤会長さんに挨拶を済ませてからカリスマブリーダーさんの河内の親父さん西澤さんにご挨拶を済ませてから展示販売に遠渡はるばるお越しいただいている埼玉の花小屋さん並びに岐阜のクリークの美人奥様でいらっしゃるめだかちゃんにご挨拶を済ませました。

去年はクリークさんのターボブラックペアを購入いたしましたので今回は花小屋さんオススメの逸品成魚用餌を購入いたしました。
今,開封しましたが今まで見たことの無い内容物がブレンドされておりました。
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次に登場されたのはブログでもおなじみの兵庫支部明石からお見えのスーさんです。
一時間あまりお相手していただきましてその上ミジンコ繁殖剤までプレゼントしていただきました。
感謝感激雨あられでございます。
早速ミジンコ飼育発泡容器に投入させていただきました。
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メダカのほうはいずれ劣らぬ逸品ぞろいですがなんせ撮影技術がご存知のとおりですので出品メダカには失礼ですが参考程度にアップさせていただきます。

こちらは来季話題になりそうなラメ幹之ですね。
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次に控えしは小川ブラックの改良種ターボブラック、それにしても黒いですね。
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こちらは今年はやりの錦三色(花小屋さんの持ち込み品です)
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忘れてならないのが関西支部の誇るHさん(Mr、スミス)の素晴らしき楊貴妃、お見事につきます。
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あ、大変なことが・・・
カリスマブリーダー河内のオヤジさんの琥珀の写真が一枚もない(汗)
これだけは会場に来て実物をご覧くださいませ。

その代わりとしてお友達の極小盆栽を載せておきます。
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ブラインシュリンプ分離

毎度、みっちゃんです。

おはようございます。朝から良く晴れていい天気です。

こんな日は気分もすっきりします。

今日から3日間大阪で開催される唯一のメダカ展示会の始まりです。

さて、ムシトリスミレは長らく花を楽しませてくれましたがいよいよ茎が中折れし始めました。画像A 001

花の隣では次の花芽が顔を見せかけています。
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そして、子株も発見?
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さて、メインテーマのブラインシュリンプの分離法ですがカップに孵化塩水ごと移します。
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①浮いている卵の殻をスポイドでプリンカップに移します。
②プリンカップの中間層をスポイドで吸い込みます。(活ブラインシュリンプを取り出します)
③カップの底にも未孵化卵が残っているので別のカップに底の部分だけ残して移します。
④底に残った未孵化卵に水を加えてまたプリンカップに移して同作業をします。
⑤これで分離は終わりましたが孵化分だけ移すには茶こしフィルターを使いますが私は塩水ごと与えるのであまり使いません。

これが最終残った殻と未孵化卵です。
画像 003

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ネット依存症

毎度、みっちゃんです。

雨が降ったり、いい天気になったりと春先の天気はめまぐるしく変わっていますね。

どうもこのごろ病気からの回復が抵抗力・免疫力が減少しているのか遅れ気味になってきております。

体調には気をつけたいものです。

動くのがおっくうになるとどうしてもネット購入が増えてきて連日何かを買っている始末です。

これも一種の依存症なんでしょう。

こちらは先日オークション落札したムシトリスミレのPプリムフローラで遠渡はるばる北海道からやってきました。

極小の苗で今年花が見れるかどうかわかりません。

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そして、室内水槽の照明の蛍光灯が寿命なので近くのショップに購入に行ったのですが品切れで問屋に問い合わせてもらいましたがそちらも在庫なしとのこと。

結局、ネットオークションで2件見つけて即注文依頼しました。

また、いつ困るかもしれないので総計5本購入になってしまいました。

流通の流れは以前と比べものにならないくらいに進歩してAmazon等の場合深夜に購入して翌朝の10時にはクロネコさんがお届け物ですとこられる場合も多々あります。

便利な世の中になったものだと関心させられますがよほど確認して買わないと現物確認できないので返品処理等の場合とても大変なことになりかねませんのでご注意を!

さて、表ベランダではそろそろ有精卵確認もできるようになってきました。
横見でよくわかりませんがこちらは青幹之です。
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本日は楊貴妃は産卵確認できませんでした。
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今日は日本メダカ協会関西支部主催のメダカ展示会が鶴見緑地内のハナミズキホールで開催されます。
今日から3日間の開催ですので多数の方の来場があることでしょう。
小品盆栽店とのコラボ企画なんですが今年で3年目になります。もちろん過去2回とも見学に寄せていただきました。

今回は両足の腫れがひかないので心配ですが行けるようなら今日時間を見つけて行ってみたいと思っております。

今回も埼玉の花小屋さんと岐阜のクリークさんの応援出品現物販売があるので楽しみですが欲しいものだらけで財布が空になるのでできるだけ購入病を抑えるように努力してみます。

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木酢液

毎度、ミッチャンです。

今日はいい天気で表に出るのもTシャツで十分です。

ムシトリスミレ花もちがよくて今日も綺麗に花が咲いています。
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ベランダ手すりには交配用プラケセットも終わっております。
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さて、今日のテーマの木酢液です。
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プラナリア発生やコケの生えるときに使っていますが何度も洗わないと匂いがたまりません><
それとたぶん浄化バクテリアも攻撃すると思いますので気になられる方は遠慮されたほうがベターかも・・・

こちらはリセット水槽です。
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こちらはリセット後に今年生まれの仔メダカを入れて4~5日経ちますがが問題なしです。
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表水槽でもクロメダカほかが元気に水面に顔を出しております。
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必須アイテム

毎度、ミッチャンです。

WBC今1点プエルトリコに先攻されていますが、マエケンにがんばってもらいたいものです。

ムシトリスミレはいまだ枯れずに花が咲いております。
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さて、メダカのほうはそろそろ産卵シーズン突入です。

私の必須アイテムはまず、稚魚用掬い網。
ペットボトルのふたと、ストッキング、竹串で作っております。

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次は、私のところはベランダでベアタンクで交配・産卵させていますので夏場には1週間に2度くらいの水替えをしますので気をつけているようでも土間に稚魚をこぼすときがあるのでイチゴ容器などの透明ケースをカットして掬い取るようにしております。
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グッズでよく利用するのはこんなものぐらいです。

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外部水槽産卵開始

お久しぶり、みっちゃんです。

ブログも久々になると書き込みも忘れそうになります。

さて、そろそろ桜の頼りもちらほら聞こえ始めてきました。

うちのムシトリスミレは開花は遅かったのですが、一旦咲くと花持ちがいいようです。
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朝からエアコンフィルター2台分を洗って、表プランターの睡蓮を植え替えました。

午後は雨のため、交配用プラケースを丸洗いしたところ楊貴妃水槽ではもう産卵が開始されていました。画像 002
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やはり今年も例年通り桜の開花に合わせるように産卵開始です。
この楊貴妃からスタートです。
しかし、腹まで色づいていませんね(笑)
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楊貴妃透明鱗か琥珀透明鱗か水の色が邪魔して判定つかずです。次の水換えでのお楽しみです。
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東天光透明鱗のようですが骨曲がりに見えますが実はそうではないのです。
体をよじっているのでそう見えるんですが・・・
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やっと咲きました。

毎度、みっちゃんです。
久しぶりの更新です。

今日は朝からはいい天気だったのですが今はかなりの雨になりました。

朝の天気の良い間に睡蓮バケツの洗い直しと醗酵油かすを入れてあげました。

去年は一輪の睡蓮しか見れませんでしたが今年はたくさんの花をつけてくれることでしょう。

昨日まで4日間、妹が富山から来てくれて母親の病院付き添い等をしてくれてましたので少々楽させてもらえました。

一昨日は、いい空気吸いに金剛山まで車で行ってきましたが早咲の河津桜が少々咲いているのと梅がところどころ咲いているくらいで殺風景でしたが黄砂やPM2.5のことをしばし忘れていい空気を吸ってまいりました。

さて、長らく咲きそうで咲かなかったムシトリスミレがやっと可憐な花が顔を見せてくれました。
ムシトリスミレ

睡蓮バケツを洗っていて中にいた雑メダカの中に混じっていた色濃いメダカです。
楊貴妃と比べても色の違いは歴然としております。
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春の交配でもっといい子ができてくれればいいのですが・・・

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朝の冷え込み

毎度、ミッチャンです。

朝の冷え込みも昨日に比べてずっとましになりました。

ムシトリスミレの蕾が割れてピンクの花びらが顔を出しかけました。
しかし、開花まで長~い。
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春めいて来ました

毎度、ミッチャンです。

いよいよ春めいてきましたが、朝の冷え込みは今日が一番だったようで、ベランダの床まで凍っておりました。

ムシトリスミレの花ももうすぐ開花のようですが日数がかかっております。

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今日は日中暖かかったので混泳水槽より楊貴妃を別分けしました。
尾鰭がいまいち名感じがしますが温かくなれば改善されるだろうと思います。

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