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雨上がり

毎度、ご無沙汰ミッチャンです。

GWの中日ですが、お仕事の方もたくさんいらっしゃるようです。

出かける予定もないのですが一日の経つのが年とともに早く感じるこのごろです。

さて、昨夜からの雨も一段落したのか今は上がって曇空の大阪です。

まずは雨上がりの花からスタートします。

クチナシの白い花です。
画像 009

白シタン
画像 011

サギソウも芽吹いてきました。
画像 012

ムシトリスミレ
画像


いつも、雨上がりにはカラスの猛襲撃にあい、メダカ被害続出しておりましたが、購入グッズと手作りグッズのおかげで全く寄り付かなくなりました。
画像A

メダカのほうは毎日産卵・孵化真っ盛りです。
蚊の猛襲の始まる前にそこそこ完了したいです。

では、本日のメダカたちで締めくくりとします。

幹之ダルマ
CIMG1247.jpg

CIMG1244.jpg

赤ブチ
CIMG1216.jpg

CIMG1216①

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CIMG1227.jpg

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針子飼育用ネット

毎度、みっちゃんです。
昨日作ったグッズ。

針子用ネットの使用実験開始しました。
画像 003

エアレーションも弱めにして、ストレス軽減策をとっております。

カップと違い、飼育水が食べ残しの餌でいたまないのがメリットと考えております。


こちらは一昨日、栃木から我が家に越してこられた赤ブチです。

F1に2色、3色期待です。
CIMG1171.jpg

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グッズ他

長らくご無沙汰しております。みっちゃんです。

もう桜も終わり、そろそろGWの予定も未定ですが心は弾んでおります。

世間のGW(ゴールデンウィーク)でなく、グリーンウォーターの管理に始終するのかも知れません><

さて先週の日曜は、京都の竜安寺の近くで商店街の祭りがありその中で「観音めだか」さんが出店されるとのことで、一目見たさに京都まで行ってまいりました。

少しの時間ですがメダカ談義させていただいて、そのまま失礼するのも何なんで、お知り合いの方に売られたメダカの卵を譲っていただきました。

一週間でほぼ全数近く孵化しています。

こんな状況です。

観音めだか⑧

観音めだか⑨

いいメダカなので、無事成魚まで育ってもらいたいものです。

うちにはメダカの大敵、カラス軍団が待ち構えてますので、表飼いはかなり難点があるのですが、つい先日TVで
カラス撃退番組があったので、早速グッズ取り寄せました。

結果良好でカラスが寄り付かなくなりました。
medakaC.jpg

素材は光ファイバー線の束のようです。

どうもカラスは光に弱いようですので、自作でこんなのも作ってみました。
自作カラスよけ

それと、今日、近くのショップで稚魚飼育ネットが無かったのでこんなものも作ってみました。
稚魚用ネット

つたないブログに立ち寄っていただいて恐縮です。

できましたら下記画像クリックの方もよろしくお願いいたします。
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超、久々の更新になりました。

毎度、みっちゃんです。

超、久々の更新でブログの書き方も忘れかかっておりました><

というのも、日本の歴史を年表ごとに、エクセルでまとめようと思い実作業に入って、鎌倉幕府まで進行中ですが、思うように進まないのでその他のことに余り時間を費やせない現状だからです。

それにも増して、現在、メダカ、鈴虫、ニホンイシガメ、サギソウは従来よりの趣味としておりましたが、豆盆栽にも興味を持ってしまい素人細工をしておる途中で何もかもが中途半端になりそうな気がしております。

さて、先の日曜日に京都まで行ってきました。

目的は、以前から気にかかっていた「観音めだか」という高級品種を見る機会があったからなんです。

阪急電車で西院という駅で下車して京福電鉄に乗り換え嵐電に乗り帷子ノ辻というところで嵐山行きと分かれて乗り換え北野方面に向かいました。途中よくTV放映される桜並木がずっと続いておりましたが残念ながら葉桜に近い状況ですが番春の風景満喫いたしました。

石庭で有名な龍安寺で下車するのですが、私が大学に通っていたすぐ隣だとは初めて知りました。

龍安寺で降りて細い道沿いで商店街の祭りが開催されている中で喫茶店の前に目的のメダカを発見しました。


ネット画像では非常に綺麗な非透明鱗系の赤黒い発色のメダカのようですが渋い目の赤が楊貴妃のようなオレンジまたは黄系の発色とは違いがありそうなので一目見たかったわけなんです。

ご承知のようにメダカの色素胞には黄はありますが赤はありません。

「観音めだか」さんのブログで黒(青系)を交配させることは知っておりましたが、琥珀系と交配させるのか楊貴妃ケイト交配させるのかが判らずに質問に行った次第なんですがやはり企業秘密で教えてはいただけませんでしたが、ネットで見る発色のメダカにそういないこと確認させていただきました。

意識して自分があのようなメダカを作出するのはとても無理でフロックで近いメダカが出たにせよ固定化するには天国にメダカを連れて行くしかないのではないかと思える次第です(笑)

自信を持って高額な値を付けられるのもある意味でわかりそうな気もします。

ちょっと貧乏生活者には手の届かない逸品ではありますが・・・

帰路につき、昼食は大阪でと思い、阪急淡路で地下鉄花園町行きに乗り換え動物園前でおりました。

こちらには100年の歴史のある庶民的な洋食屋の南自由軒がありそこのとんかつソースが美味しいので立ち寄ったのですが店は閉鎖されておりました。

沖縄料理の店で聞いてみたらどこか遠くで開業してるとのことでネット検索のクチコミを探すとありました。

それも我が家の近くの昭和町というところに!尚、店の前は超人気店のラーメン屋「彩々」とのことでなおのことびっくりです。このラーメン屋は近くの商店街で開業したのですが行列ができてこちらに数年前に写っていった店なんです。

その洋食屋は次の日の月曜日に食べに行きましたが、超阪神ファンの店主との会話も弾み楽しいひとときでしたがあまりに洒落た店に変わって以前の庶民風感覚がなくなったのと、値が上がっているのはいただけませんでした。

移転理由に関しては、道路を挟んで北側の動物園前、通天閣に向かう商店街は行列の並ぶ賑わい店があるのですが
南側のほうは閑古鳥が泣き、閉鎖している店が多々出ているので再開発地区に指定されたのかと聞いたらそうではなくて商店街の上のものの考え方が全く進歩性がないとのことでした。

その辺は天王寺、難波都の距離も近いので住居地区にしたら商店街も活気づくと提案しても乗ってこず、これではジリ貧間違いないとのことで移転したとのことでした。

今では食べに来るものの多くは生活保護者でそれも長時間粘られるので商売にならないとのことです。

貧困ビジネスというか西成地区を活気づかせるために橋下市長は税金免除作等を提示しているけれど、結局芽生えているのは生活保護者を食い物にしている、司法書士などと医療関係、不動産業、など貧困ビジネスが中心だとのことでした。

累代の店の現況の声を聞くなりして地元と密着した行政なら効果的な活性化が測れると思いますが縦割り押し付けの行政では地元の納得は得られないと思う次第であります。

古代天皇制に於ける仏教

毎度、みっちゃんです。

昨日は国民栄誉賞に、大鵬幸喜さんに続き長嶋茂雄氏松井秀喜氏が受賞されることに決まりました。
長嶋茂雄氏は松井氏にセンターにコンバートの時と大リーグに渡米の際に、自らの夢を託すようにジョー・ディマジオを目指せと励まし送り出されたようでした。
残念ながら松井氏は怪我以来、あまり成績が良くなくご存知な結果で結末を迎えることとなりましたが、こうj支援での高知高校との優勝戦で撃たせてもらえなかったことが昨日のように思い出されます。

さて、日本への仏教伝来は538年、社会不安解消のために蘇我稲目が仏教推進派で物部尾輿らの反対派を抑え外孫の用明天皇を皇位につけ仏教の興隆を図って以来、聖徳太子の時代を経て聖武天皇の時に頂点に達した。

天皇は741年(天平13年)、国ごとに「金光明四天王護国寺」(国分寺)と「法華滅罪寺」(国分尼寺)を建立させ、次いで都に、東大寺をたて、その本尊を五丈三尺もある金銅の盧遮那仏を鋳造した(743年起工、752年完成)

このため国費を傾け、人民に出掌を強制した。

東大寺とその大仏は美術的価値のみでなく、古代日本人が、これだけのものを作る建築及び金属鋳造の技術を持ったことを示す点でも、歴史的意義は大きい。

これほど朝廷から保護された仏教はもっぱら「国家鎮護」すなわち天皇制の安泰を祈ることとするもので、個人が戒律を守り正しい道を修めて、悟りを開き魂の救いを求めるという仏教本来の道から全くかけ離れたものだった。

では、本日の最終は禅問答のようになりますが・・・

悟りとは・・・?

釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたとされています。
欲望を捨て去り、真理=知恵を会得すれば(悟り)、 心が迷うことなく、すべての束縛から解放されるというものでありました。仏教ではこの形での解脱を涅槃(ねはん)といい究極の目的にしていました。

魔物を打ち倒して悟りを得たことを、仏教では「降魔成道(ごうまじょうどう)」といいます。

昔、剣道の指南書を読んだときに、ある時悟りという魔物を退治せよと言われた剣士がいくら魔物をだましうちにしようとしても心を読まれ倒すことができなかったということです。
もう自分には悟りを倒すことができないと諦めて一心不乱に薪割りをしていたところ魔物が近寄ってきてなぜ倒しにこないと呼びかけても剣士は意にかいせず薪割りを続けておりました。すると突然おのの先が外れて見事魔物に命中して悟りを倒したという言い伝えがありました。

極意=悟りを開くとはそんなことかも知れません。

では、また・・・・

IMG_4716赤めだか

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福賴神社

毎度、みっちゃんです。

前回、住吉大社のところを検索中に我が本名にまつわる珍しい神社を発見しましたのでHPをくぐっておりましたら画像付きで紹介されておられる方やユーチューブに投稿されておられる方がいらっしゃいましたので一時頓挫して調べてみることにしました。

まず、私の本名は福賴と言って(ふくより)と読みます。
学生の時先生でも結構間違えてふくせ (福瀬)と言われたことを思い出しました。
また、訓読みでなく漢読みで(ふくらい)と言われる方も多かったように記憶しております。
そんな時に、源頼朝の(より)とか信頼の(らい)の字ですと訂正させていただいたのは小学1年から続いてましたね。

ちなみに運転免許書の(賴)という字がないというのでいつも免許更新の時は手書き修正されるので一番最後に回されております><

うちの父方の叔父が私の祖父のお通夜の時に名前にまつわる神社があると言っておりましたがまさか・・・との思いで長らく放置しておりましたが、昨日検索してみて面白い事実が結構あることにびっくりしております。

まずは、良く似た名前の神社が仕事中に車で和泉市を走っていて交差点名が「福瀬」とあったので脇を見ますと
「福瀬神社」(フクセジンジャ)なるものを発見しました。

http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/fukuseebisu.htm

多分、似て似つかぬものなのでしょう・・・

次は本命の岡山にある「福賴神社」こちらはよみも(ふくよりじんじゃ)と言うようです。

レオナルドという方がアップされておられるフォト蔵をお借りしてまいりました。
http://photozou.jp/photo/list/242216/4604451

なるほど、納得です。

祀られている御神体が「福賴大明神」というのも何か深いご縁があるのでしょうか?
通常、山や岩など自然物等を大明神に上げるのが一般的なのに人名を上げているのは謎でしかありません。

また、寺社巡りをされている方もアップされておられました。
http://punktundlinie0516.seesaa.net/article/212746043.html

次は非常に興味深い説明をされておられる案内人の方がいらっしゃる何か寺社巡りの団体さんなのでしょうか・・・?
http://www.youtube.com/watch?v=eN6rGkrf6gw

「福賴神社」というのは矢掛という場所にあり「鬼」が住むと言われる山が神社から矢掛の延長線上に位置します。
地元の方ならご存知なのでしょうが案内人さんの説明がよく聞き取れませんが山を越えたあたりに矢の羽が飛んで弓がたくさん落ちている名前の場所があるようです。その方向には有名な「吉備津彦神社」と「吉備津神社」があるようですが、矢掛の位置からは外れた位置にあるので「吉備津彦の尊」がいらっしゃった場所はこの「福賴神社」に間違いないと力説されておられるようです。

となりますればちなみに私は桃から生まれた桃太郎の「現人神」の直子孫ということになるかもしれません(笑)

ただし、出雲地方には「福賴」と名前のつく地名や構造物がいろんなところに存在しているようです。

①まずは鳥取県に市名があるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E9%81%93160%E5%8F%B7%E7%A6%8F%E9%A0%BC%E5%B8%82%E5%B1%B1%E4%BC%AF%E8%80%86%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E5%81%9C%E8%BB%8A%E5%A0%B4%E7%B7%9A

②同じ鳥取県の米子市にもありました。
http://www.the-search.jp/zip_code/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C/%E7%B1%B3%E5%AD%90%E5%B8%82/%E6%B7%80%E6%B1%9F%E7%94%BA%E7%A6%8F%E9%A0%BC.html

③大山の方に月村神社のある場所もそのようです。
http://blog.zige.jp/dandan/kiji/410950.html

④島根県安貴重にはバス停もありました。
http://buste.in/search/bus/?id1=n4189&id2=32

⑤川や橋にも名前が付けられているようです。
http://www.openstreetmap.org/browse/way/60312847

このくらいで検索はストップいたしまして、戦国時代に登場したご先祖様もいらっしゃったようです。

http://www.openstreetmap.org/browse/way/60312847

この時ご先祖様は毛利軍にいらっしゃったようですが、「福賴神社」の神主さんにお聞きすると毛利方の施策に反対した一部のご先祖様は尼子方につき東に流れたと聞き及びました。

直接のご先祖様は丹波の篠山、青山藩士でいらっしゃって以前うちの家には小刀が保管されていたことを思い出しました。

「福賴神社」の神主さんはその辺の事情は三原に住んでおられる福賴さんが詳しいと聞きましたが元は、金沢あたりの豪族であったことは間違いが無いようです。

神主は丹波の本家のことをかなり気にして調べておられるようですがどの場所にあったのかひいばあさんでないとちょっとわかりませんとお答えさせていただきました。ひいばあさんから存命のおり、大刀は本家丹波の篠山に小刀は我が家にと聞かされたことはありましたが・・・

うちの祖父の弟さんは過去帳にこだわる人で、何度か岡山の「福賴神社」を訪ねておられた様子です。

うちの祖父は長男がいなかったためにうちの父親を養子に撮ったものですから家督は親戚に譲っているのであまり意味をなしませんが・・・

歴史にロマンを感じて、ルーツをたどる旅もいいでしょうが、私に残された時間はもうそう長くはなさそうなので飲む・食う・寝るに専念したいと思っております(笑)

ご訪問いただきありがとうございました。今回もまた、つまらぬ話題にしてしまいました。

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住吉大社

毎度、みっちゃんです。

引き続き、神社です。

住吉大社は我が家から西南西5kmほどの地点にある海の神を祀る古来ゆかしき神社です。
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お正月は初詣でこの太鼓橋を渡る人でいっぱいです。
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第一本宮、第二本宮、第三本宮、第四本宮があり海の神の所以のとおり海に面した方が正面となっています。
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住吉大社(すみよしたいしゃ)

大阪市住吉区住吉に鎮座。

祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)すなわち底筒男命(そこつつのおのみこと)、中(なか)筒男命、表(うわ)筒男命の三柱と、神功皇后(じんぐうこうごう)(息長足姫命(おきながたらしひめのみこと))。

住吉大神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の筑紫日向(つくしのひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)(小門)の檍原(あわぎはら)(阿波岐原)での禊(みそぎ)によって生まれた神であるが、神功皇后は、その神託を得て朝鮮に出兵、帰国後、現在地に大神を鎮祭したのが、第一・第二・第三本宮である。やがて皇后も、遺志により第四本宮に祀(まつ)られたと伝える。古くは名神大社、摂津(せっつ)国一宮(いちのみや)、二十二社に列した。

祭神は禊祓(みそぎはらえ)の神、海路平安の神として古来朝野の崇敬厚く、遣唐使の出発にはかならず当社に祈願する例であった。

また、大神が「現人神(あらひとがみ)」として顕現するという特異な信仰があり、多く白ひげの老翁の姿に描かれる。平安時代以降は和歌の神としての信仰も大いに広まり、津守国基(つもりのくにもと)をはじめ神主(かんぬし)にも歌人が輩出した。

農業、産業の神として広く庶民の崇敬も盛んで、大阪市の鎮守として、正月や祭礼には非常ににぎわう。旧官幣大社。1946年(昭和21)社号を住吉神社から住吉大社という古称に復した。

国宝の本殿四棟は住吉造で、神社建築の最古の様式の一つである。

尚、住吉大社には数多くの摂社・末社があるが、本社の北側にある「大海神社」が本社に次いで神格の高い神社として有名である。大海神社の本殿は本社の本殿と同じ住吉造で重要文化財に指定されている。

神々の誕生

1. 記紀には天照大神と共に生まれ、並び称されている6柱(2組)の神々がいる。
 天照大神の誕生場面は「第6章 向日と檍原」において紹介済みであるが、6柱の神々誕生の場面とは次のように繋がる。


「日本書紀」の記述(檍原の禊)

(1)伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の小戸
 (をど)の橘(たちばな)の檍原(あはきはら)という所に来られて、……

(余談)うちの近所には橘姓を名乗る豪邸が各所あるが、由緒正しき家系なのだろう・・・?

(2)海(わた)の底に沈んで禊して生んだ神は、底津少童命(そこつわたつみの
 みこと)である。次に生んだ神は底筒男命(そこつつのをのみこと)である。
(3)潮(しお)の中に潜って禊して生んだ神は、中津少童命(なかつわたつみの
 みこと)である。次に生んだ神は中筒男命(なかつつのをのみこと)である。
(4)潮(しお)の上に浮いて禊して生んだ神は、表津少童命(うわつわたつみの
 みこと)である。次に生んだ神は表筒男命(うわつつのをのみこと)である。

(5)底筒男命・中筒男命・表筒男命は住吉大神(すみのえのおおみかみ)のこと
 である。底津少童命・中津少童命・表津少童命は阿曇連(あづみのむらじ)達が
 祭祀をおこなっている神である。

(6)次に左の眼をお洗いになった。そして、生んだ神を名付けて天照大神(あま
 てらすおおみかみ)という。


(注)日本書紀の他の場面や、古事記では次のようにも表記されている。
    底津少童命は(底津綿津見神)
    中津少童命は(中津綿津見神)
    表津少童命は(上津綿津見神)
    底筒男命は (底筒男、底筒雄、底筒之男命)
    中筒男命は (中筒男、中筒雄、中筒之男命)
    表筒男命は (上筒男、表筒男、表筒雄、上筒之男命)

2. 少童命(わたつみのみこと)と筒男命(つつのをのみこと)は3柱づつで1組となっている。
CIMG1081.jpg

(余談ですが)ちなみに私の本名は非常に珍しい名前ですがそれに類似した神社がありますので紹介いたします。
       ただし、私は貧乏神の方ですが・・・(笑)

http://photozou.jp/photo/list/242216/4604451

また、鳥取県西伯郡南部町には私と同名の市があるので古来ゆかしきご先祖様がいらっしゃったのかもしれません・・・?

住吉大社と私との関係は昔は護岸工事もなく農薬や生活排水の流れ込みもなかったのでいたるところでミジンコが見られましたが、近くの池等ではケンミジンコやマルミジンコは見かけるのですが肝心のミジンコが全然見つからずに困っておりましたところ8年ほど前、仕事先が住吉大社のすぐ横のマンションだったため寄り道して6月の終わり頃、田んぼを覗いてみますといるはいるはワンサカ湧いておりました。

早速、落ちていたキャップ付きのワンカップのガラス瓶に入れて持ち帰りその後今まで維持しております。
住吉大神様ごめんなさい。
神からの使いは今も大事に育てておりますので(笑)
               DSCF1451.jpg


出雲大社と伊勢神宮

毎度、みっちゃんです。

伊勢神宮と出雲大社はどの時期に作られたのか調べてみました。

伊勢神宮は内宮が10代崇神天皇の時期で、外宮が21代雄略天皇の時代。

出雲大社は神代の時代のようです。

我が家の近くに山坂神社があるのでそちらも調べてみました。
s-image155.jpg

山阪明神または田辺神社とも、いわれていました。 
田辺氏は、元来、西国から移動した渡来系氏族で、
現在の柏原市に拠点を持ち大いに栄えた一族であり、
その分家がこの地に移住して、自らの祖先神を祀ったとされます。

この地名・田辺も田辺氏に由来するとされています。

神社創建の時期は不明ですが、主祭神は
天穂日命(アマノホヒノミコト)(※1)で、
野見宿禰命(ノミノスクネノミコト)(※2)も祀っています。

田辺氏と同系の土師氏の祖先神が野見宿禰命で、
天穂日尊の子孫とされていることに因んでいるとも思われます。

三代実録(※3)の「清和帝貞観(ジョウガン)4年(862)8月11日条
田辺西神、田辺東神に従五位を授けた」ことが記録されていおり、
田辺西神は当社を、東神は中井神社を示すものとされています。

元禄16年(1703)の検地帳によれば、境内地は約30,000㎡にも及び、
神社の本殿は前方後円墳の後円部に創建されているとみられています。 

現場をみると、前方部が西側の遊園地に当たる東西方向の前方後円墳に
見えてきますが、埴輪や葺石という当時の墓制に特有な付属物が
出土していないので、何とも言えません。 

土師氏が弓部の十六人を率い神功皇后に従い三韓に渡り偉功があり、
凱旋後に摂津住吉神社創立と共に、この地に邸宅を賜り、
梅園惟朝(ウメゾノコレトモ)と称しました。
住吉松葉大記によると、大海(オオワタズミ)、大依羅(オオヨサミ)、
開口(アグチ)、座摩(イカスリ)、生国魂(イククニタマ)の末社群の
上位に位置されたので、当社が住吉大社により、
大変重視されていたと考えられます。

住吉大社の神馬の飼育も田辺氏に任されていた理由もうなずけます。
当社の祭儀もこの頃より梅園氏によって行なわれ、
その同族にして配下の田辺宮主即ち禰宜長ならびに舎人よりなる
宮座によって奉仕されたのであります。
九月朔日の例祭には、当社および田辺東ノ神(中井神社)の
祭儀には梅園氏が親しく奉仕し、ことに禰宜長以下の宮座は当社に
奉仕すると共に、住吉神社の神馬を飼養し日々住吉神社へ曳くを
例とするようになり、当社の宮座は住吉神社との間に古くより
特殊な交渉があったものと考えられます。

※1 天穂日命
古事記の名称(天之菩卑能命)から判断すると、すべてに秀でた神様となります。 
出雲の国譲り(今で言う吸収合併)の交渉役に選ばれて、
九州の本部(高天原)から派遣されたが、大国主命に心服して、
3年間も服命しなかった人。 当世向きの平和主義の神様と言えます。

※2 野見宿禰命
日本書紀の垂仁天皇7年秋7月条に書かれている人で、
当麻蹶速(タイマノケハヤ)が相手の生死を問わず荒っぽい相撲振りを
誇示したので、天皇が全国から対向者を募り、出雲から野見宿弥が
召喚されて対戦し、蹶速を蹴り殺してしまう。 
野見宿弥は褒美として当麻蹶速の土地を戴き、当麻に留まる。 
御陵建設等の技術集団である土師氏は、彼を始祖としている。 
菅原道真も土師氏の末裔です。

※3 日本三代実録
清和、陽成、光孝の3代天皇の時期に関する国史書です。
天安2年(858)8月から仁和3年(887)8月までの30年間を記録しています。
編者は藤原時平、菅原道真、大蔵善行、三統理平で、
901年に撰上されたが、時すでに律令制度が崩壊し、
天皇家にとって懐古的な歴史書となった、六国史の最後の国史書です。

土師氏(はじし)は古代の氏族。

天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり葬送儀礼にも携わった。
本姓    土師連
家祖    野見宿禰
種別    神別 (天孫)
出身地   出雲国
主な根拠地 出雲国・吉備国・大和国・河内国志紀郡土師里 (※堺市にも土師(ハゼ)というところあり)・
      山城国
支流・分家 大江朝臣
      菅原朝臣
      秋篠朝臣

天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり葬送儀礼にも携わった。

奈良の古代豪族だった土師氏は技術に長じ、4世紀末から6世紀前期までの約150年間の間に築かれ、古墳時代の中期を代表する古墳群、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族である。

奈良、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯は、「土師の里」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所で、その名がついた。道明寺は土師氏の氏寺である。

土師氏は野見宿祢を祖先とする氏族で、野見宿祢については、『日本書紀』垂仁7年7月7日条にその伝承が見える。それによると、大和の当麻邑に力自慢の当麻蹶速という人物がおり、天皇は出雲国から野見宿祢を召し、当麻蹶速と相撲を取らせた。野見宿祢は当麻蹶速を殺して、その結果、天皇は当麻蹶速の土地を野見宿祢に与えた。そして、野見宿祢はそのままそこに留まって、天皇に仕えた、とある。野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられており、野見宿祢が石材とかかわっていたと言う推定がある。この伝承は、石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆する。

野見宿祢に関する2つ目の伝承として『日本書紀』垂仁32年7月6日条があり、垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命が亡くなった。それまで垂仁天皇は、古墳に生きた人を埋める殉死を禁止していた為、群臣にその葬儀をいかにするかを相談したところ、野見宿祢が土部100人を出雲から呼び寄せ、人や馬など、いろんな形をした埴輪を造らせ、それを生きた人のかわりに埋めることを天皇に奏上し天皇はこれを非常に喜び、その功績を称えて「土師」の姓を野見宿祢に与えたとある。 当時も技術的には出雲が先進であったことを示唆する。

後に、土師氏は河内国に古墳墓を増産し、隆盛を誇った。

やがて土師氏は、桓武天皇にカバネを与えられ、大江氏・菅原氏・秋篠氏に分かれていった。

秋篠(あきしの)は、奈良県奈良市にある地名。現行行政地名は秋篠町、秋篠新町(以上住居表示未実施)、秋篠早月町一・二丁目、秋篠三和町(以上住居表示実施済み区域)。かつては大和国添下郡に属しており、平城京の北西端にあった西大寺の北側に広がる地域にあたる。現在の皇室の秋篠宮の宮号の由来の土地でもある。

古くから土師氏ゆかりの土地であったと言われており、延暦元年(782年)に土師安人の姓が宿禰から朝臣に改められた際に「居住地にちなんで」秋篠安人と改名している。この少し前(具体的年代には諸説あり)に秋篠寺が秋篠の南側に建立された。

ちなみに・・・
秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう、1965年(昭和40年)11月30日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第二皇子。母は皇后美智子。身位は親王、皇室典範における敬称は殿下。お印は栂。勲等は大勲位菊花大綬章。学位は博士(理学)(総合研究大学院大学・1996年)。皇位継承順位は皇太子徳仁親王に次ぐ第2位。

秋篠宮親王の名の由来は奈良の秋篠寺かららしいですが今上天皇の第三子にお生まれになったところも所以のひとつかもしれません。


本日もお忙し期中お立ち寄りいただきましてありがとうございました。

メダカ飼育始めた頃はヒメダカがどういうわけか飼育できすに20匹★にしてしまいました><

そこで蚊に刺されるのを覚悟の上山坂神社の手洗いの水をペットボトルにくみに行っておりましたが、
神のご加護かそれ以来元気に育ったことを思い起こしましたが、現在は蚊に刺された思い出が深く行ってはおりません。

アルビノ

明日は住吉大社にまつわる話をまとめてみます。


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