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日本文明の夜明け

毎度、みっちゃんです。

さて、勉強開始です。

大和・河内地方に百済国から渡来した人々は新しい生産技術と新知識をもたらし倭国の生産力を飛躍的に発展させた。彼らのおかげで鉄器の生産と使用が広まり始めた。

大規模の水利・土木工事が行われ、農耕の技術と道具が躍進し,新しい陶器(須恵器など)、家畜の飼養、養蚕、絹織物その他の生産が、急速に発展した。

技術と切り離せない算数の知識も伝来したのだろう。

また、渡来人の中から、倭国と朝鮮諸国や中国との外交文書を起草し解読するものも出た。

倭国人は彼らから初めて漢字・漢文を学びそれを使用し始めました。

こうして日本列島社会は朝鮮渡来人に導かれて、5世紀にようやく、古代中国文化圏の東のはてで、未開から文明の段階に達した。

この時期、大王(天皇)を頂点に戴く国家はかつての大和地方の族長たちの連合政権が、列島各地の征服戦と、挑戦・中国の文明の摂取とを通じて成長発展し、九州北部から関東地方に至る日本列島の主要部分を、不十分ならがも一応支配している。

この国の最高支配者は、かつての邪馬台国の女王などとはちがって、倭国の5王に見られるとおり、王権の男子世襲制が確立されており、王はもはや、卑弥呼のような宗教的最高権威であるだけでなく、政治・軍事・祭祀のいっさいの権を握る最高の権力者であり権威である。

彼は、各地域の支配者=王たちの上に立つ王であり、六世紀には大王と称していたことが明らかである。
その称号は五世紀に遡らせていいだろう。

堺にある巨大な前方後円墳にまざまざとみられる。
それまでの丘陵を利用し頂上に棺を埋めるやり方が平野に土を盛り上げて、小山を人工的に作り、王たちの墳墓とした。
応神あるいは仁徳天皇の墓と伝えられる古墳は、長さ475m、高さ27m、前方部の幅300mもあり3重の濠をめぐらしており、はるか会場からも望見される。

前方後円墳は、近畿地方のみならず九州から奥羽地方の南部に至る各地に見られる。

その墓の周りに埋められた副葬品の埴輪には、武人や農民の様々の姿の男女、動物、いえ、船、生活諸道具をかたどった、素朴な芸術品もある。

そのうちの一つとして青銅の鏡、硬玉の勾玉、鉄の剣、すなわち後世に天皇の位のしるしとされた「三種の神器」と同種のものがあるが、これらは中国からの輸入品で、その見返りの輸出は「生口」すなわち奴隷であった。

「メダカ飼育3種の神器」とは水草(浮草・モス)、塩、レッドラムズと呼ばれていましたが。今の「3種の神器」はいかがなるものなんでしょうね?

出目チビ 黄睡蓮

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